11月にBS Asahiにて放送されました「イタリアへ・・須賀敦子 静か
なる魂の旅」が、再放送されます。
前回の放送を見逃された須賀さんの読者の方、また須賀敦子を
ご存知ない方、どうぞご覧くださいね。

  2007年1月3日 19:00?20:55  BS Asahi



お正月休みに読もうとAmazonに注文していた白州次郎関係の数冊
と、宮田鞠栄氏が編集者時代に担当された作家の思い出を綴った「追
憶の作家たち」が届く。
我が家としては今年最後のAmazon便。
玄関をあがったところでパッケージをバリバリと破き、手に取った「追憶
の作家たち」の埴谷雄高の頁に目を通していたら、涙が噴出してきた。
頭の上ではダスキンさんが吹き抜けの照明とガラス掃除をして下さって
いるというのに。

「僕が生まれてきてよかったと思えるのは、武田泰淳に会ったことだ。
これは奇蹟に近い」
そんなにまで泰淳への思いは深かったのか。

泰淳が死の病についた時、その病名を泰淳の妻の百合子が埴谷雄高
に話して訊かす様子を、百合子が何かに書いていた。
埴谷さんは両手で顔を覆ってしまい声を殺してしばらく泣いていた。
長い指の間からは大量の涙が流れていた。。というような文章だったと
思う。

戦後派というのか、あの時代の作家たちが次々と亡くなられていく時に、
長生きをされた埴谷雄高は追悼文を書き旅立ちを見送ってこられた。
みんなが死なないようにしないと埴谷さん「死霊」の続きが書けないわね
と言っていた百合子も亡くなり、この時も埴谷は長い追悼文を書いた。

それぞれ戦争を体験し敗戦の世を生きて、長い年月にわたって交流して
きた仲間の死を、老いた身で受け止める思いはどのようなものであった
ろう。

著者が編集者だったからこそ知り得る晩年の埴谷雄高にふれるのは、
出版社の内情を知らない私だけではなく、著者自身が最も辛かったに
ちがいない。