2006年01月

レイフさま

たぷろうさんから「アナタにはまだレイフの近況を調べようとする気力がある
だけ。。。」などとの文末曖昧なメールをいただきました。

気力があるだけ、なんなのよと、ちょっと突っかかってみたりして怒
なにをなにを、たぷろうさんがスティーブン・マッキントッシュのHPの管理人で
あるにもかかわらず、ころりとスティーブンのことを忘れてしまっているように、
私もとっくにレイフ・ファインズを忘れておりましたよ。
映画、まったく来ないしねぇ。

そぉ?お、それじゃぁと、気力をふりしぼって近況をネットで探ってみましたら、
ブロードウェイの舞台がひかえているそうな。
チェリー・ジョーンズとの共演で、アイルランドの劇作家ブライアン・フリールの
作品「フェイス・ヒーラー」。 

記事はこちら→

ダブリンで上演後、NYに移動とありますね。
演出は、アルメイダ劇場時代「ハムレット」でレイフにトニー賞をもたらした
ジョナサン・ケントですよ。

このジョナサンとレイフ、さらにライナス・ローチの組み合わせによる「リチャード
二世」「コリオレイナス」は、2000年にブロードウェイ公演の後東京に来たので
した。
あれほど客席に違和感を感じた舞台はありませんぞ。
それまで観てきたRSCなどの来日公演や、好きなピーター・ブルックの舞台など
とは客席の雰囲気がまったく異なり、なんだかアイドルを迎えるようなノリのアン
コールで、花をもった観客が舞台に駆け寄るといった光景にギョッとしたもの。

「コリオレイナス」で、マザーマザーと母親にとりすがってすすり泣いているかの
ようだったローマの武将レイフも忘れられませんけど。
それにオフィーディアスの色っぽかったことったら。バラ

昨年は主に映画で稼いで今年は収入にならない舞台。
ここ数年、そんなサイクルで生活しているのよね。 


懐かしいメーテル!

寿美礼ちゃん、辺境の地へ転勤させられた後、再びシチリアへ呼び戻さ
れた時の軍服コートに抱えた帽子姿を、銀河鉄道999みたいでとか言っ
てましたね。
郵便局で目にした切手発売予定のアニメシリーズ、思わず5シート予約
してしまいましたわ?ヒヨコ コレね!




オサコンDVD発売日

いそいそと買ってきたオサコンDVD。
レコーダーは家人が占領しているので、これからノートPCをベッドに
持ち込んでのご観賞ですよ~

セロハン破りながらニンマリ。I GOT MUSICだけを金色に全体はモノ
クロで、スネアドラムを巧みな指使いでたたいているオサさんを配した
ディスク。 なんて真剣な横顔、これまたニンマリ。
今はパッケージを見ても撫ぜてもニンマリだけど、観出したらきっと
泣けてきちゃうのだろうな。

三軒茶屋の駅から狭い歩道を人見記念講堂に向かった時の、あの
ギラギラむんむんの残暑が懐かしい。 扇子でもいいからわが身に
風を送らないことにはどうにもならない暑さでした。
それ以上にすごかったのが客席の熱気。オサ熱。
罹患したが最後、解熱剤は無駄だわ処方箋はみつからないわで
どうするの~~炎

では、ノートの小さな画面というのが不服ではありますが、オサダ君
に逢ってきま~す。

ちょっとだけペレイラを

「落陽のパレルモ」でオサさん演じるヴィットリオの曾孫、ユミコ演じる
ヴィットリオ・Fはスカラ座で成功をおさめた演出家なのだそうです。
ユダヤ人との恋を成就させるためだけの目的で、国を捨ててアメリカ
に亡命するんですよね。
渡航費用は借りてさ。
「全ての人間が何の差別もなく生きられる日がきたら、帰ってくる」とか
言って。
もうほんとどうしようもないボンボンなの。
だいたいそんな日が、この地球上に来ると本気で思っているのかって。

イタリアだけでも、ユダヤ人を含めてどれだけの人たちがファシストと
闘って命を落としたかは知りませんが、彼は闘うこともなく国を捨てる
のですよ。
まぁそれは各々の事情でよしとしても、「きっと帰ってくる」なんて。
闘うこともなく捨てたということにかんして何の躊躇いもなく、帰国され
てもな。かつては仲間だったミラノの芸術家たちだってレジスタンス活動
で命を落とした者もいるだろうに、そんな彼らから快く迎えられないだろう
ことも覚悟しているか?分かってる?と言ってやらなければ気がつかな
いようなお気楽さが感じられて。
いくらユミコが熱く演じていてもどうしたってシラ~と冷めた目で見てしま
うのよ。
このヴィットリオ・F、ユミコ自身もさぞ演じ辛かろう。

そんなヴィットリオ・Fを見ていて、ふと思い出した男がおりました電球

以前読んだアントニオ・タブッキの「供述によるとペレイラは。。」は、
ファシズムの影が忍び寄ってくる気配に抗うことができないポルトガル
のリスボンが舞台。
ここに住む妻を亡くした初老の新聞記者ペレイラが、一人の青年との
出会いから思いもかけない運命をたどることになる物語なのですが、
思いもかけない。。はちょっと違うか、究極は彼の魂がそれを望んだの
だからその魂に従ったまでのことと、言ったほうがよいかもしれません。

この本のタイトル「供述によると。。。」のとおり、ペレイラはどこかに拘束
され取調べを受けているのですが、その場所がファシスト政権下なのか
反ファシストの下でなのか明らかにされてないんですよね。
どちら側かによってペレイラの運命は大きく変わるということだけは確か
でも、人が生きていくとは、変わっていくとは、を考えるのに場所を知った
ところで何になるってことなのでしょうか。

1990年代初頭のイタリアは、かつてのファシズムの時代に逆戻りと
いった危機感迫る事態となっていたのですか。知りませんでした汗
そんな状況のもとで描いた作品ということもあって、イタリアでは発売と
同時にベストセラーになったとか。1994年発売です。

春野寿美礼

ダーチャ・マライーニの「帰郷 シチーリアへ」は、貴族だった母方の故郷
シチリアで過ごした子供の頃、その後意識的に遠ざけてきたシチリアを作家
となってからのダーチャが訪ねて、遠い過去の記憶を手繰り寄せつつ今をも
見つめて語っていくという自伝小説なのですが、妖しい毒にゾクッ!とさせら
れたりしてダーチャの作品の中では、常に身近に置いておきたいほど好きな
一冊です。

「落陽のパレルモ」を観たときに、舞台がおなじシチリアの地だったからなの
か、たまらなく懐かしい香りの中に身をゆだねるている心地よさみたいなもの
を感じて、だからムラであんなに通ってしまったのかしら。。なんて白々しい?
ただひたすらオサさんヴィットリオに逢いたいがために、でしょうが ラブ

「次に進むよ~ ついてこいよ~ 道に迷うなよ~!」と言われれば、
ただ「はい!」と付き従って行く素直な私であります。

東京、私の初日は8日でした。
お膝が完治するまでゆっくり休養させてあげたいな、アンドレ(苦手なベルばら。。)
だって出演しなくてもいいからねと思っていた私でしたが、いざ舞台姿を観て
しまうとダメでした。。。もちろん、東京公演からアンリエッタの部屋の窓の下に
置かれたオサさんの足をかばうための台が取り払われるまでは、不安な思い
は消えませんけれど。

あの海岸の場面から銀橋での絶唱など、嗚呼この姿、毎日でも観ていたい!
はぁ~なんてつれないフェードアウト!いつまでも姿が消えないでほしいのよ!!
と、どうしてこうもぶっ壊れ状態となってしまうのでしょうか。

その破壊した頭のままの私は、翌日、帝国ホテルのユリーカで東宝劇場が
視野に入るお席を分捕り、朝食をとりながらガラス越しに劇場を見張っている
なんてことをしてきたのであります。
ではそろそろ~という時間に席を立ってですね、オサさんの入りを見にガード
とかいう列の後ろに並んで、お姿を拝見いたしてまいりましたよ。
あのそっけなさに、かえって恋心が抑えられなくなるわ、ギャ!!
そうなんですよ~Sさまぁ~!!ドキドキ小


どこにどう並ぶかやたら詳しい夫から、家を出るときに事細かに説明を受けて
きたとおりだったので笑っちゃいます。
まずはユリーカから見ていろというのも夫の指示だったのです。
なんでも夫は人と会うために帝国ホテルに出向いた際、何度かあの入り出の
光景に遭遇し面白半分で見物しているうちにルールを知ってしまったのだとか。
だからといって何て返答したらいいの。。?でしょ汗

家族の歴史

気がつけばこんなにご無沙汰。
みなさまには良いお年をお迎えあそばされましたでしょうか?
と、ちょっとキドッテみましたが、私は昨年末から心ここにあらずのうわの空
状態で、特に新年を迎えた感慨もなく、なんでもいいから早く来て来て!私
の初日!と、ひたすら上京する8日を待っているのであります。
寒気団、交通機関を乱さないでおくれよ~

ムラでの後半はオサさんの膝の故障を知ってしまったので、ハラハラと
見守りながらといった感じで観て来た「落陽のパレルモ」「ASIAN WINDS!」
でしたが、手術後の経過はいいとはいえダンスの振りなどが膝の負担に
ならないように少々変わっている部分があるらしいと訊けば、舞台姿をこの
目で見ない限りは心配でたまりません。

オサさんの念願がかなった軍服物、その「落陽のパレルモ」ですが、冗長
に流れることなくテンポよく話が進んでいくので、宝塚にしてはめずらしく
まったく退屈せずに迎えた終盤。
ここで突然、え?いいの?一人の役者に一気に語らせて荒々しく纏めてし
まうんだね。景子先生。。。

え?いいんです。
私はこれでいいんです。
オサさんの軍服姿は美しいし、軍服のコート姿まで見せてくれて、
「我らのシチリアが泣いている~♪」と歌えば、私だってシチリアの大地と
ともに嘆き悲しむのでありますよ。

オサさんがロザリオを握り締めて銀橋を歩けば、ああマリアさま、
ヴィットリオの祈りがどうぞあなたのもとへ届きますように。。と客席で両手
を合わせて祈っている私であります。

ふと、なんか不満。。。やっぱりあの終幕では満たされない思いが募るじゃ
ないかと感じてしまったときには、ナタリア・ギンズブルグに逃げ込めばよい
という手があります。

ギンズブルグの著書でイタリア統一の時代に生きたある家族の物語「マンゾ
ーニ家の人々
」。
登場人物一覧の「貴族でもない彼が○○家の婿に選ばれたのは、ひとえに
娘ジュリア(貴族の娘)に持参金がなかったからである」。 
お!これって、「落陽のパレルモ」にも金に窮した貴族の隙にブルジョアジー
が入り込むとか嘆いている会話がありましたっけ。
貴族社会が崩壊していく様の歴史的背景を、ある家族が交わした書簡から
読み取っていくのも面白い作業ではないでしょうか。
どこかにヴィットリオ・ロッシが潜んでいるかもしれません。

同じギンズブルグの「ある家族の会話」は、「落陽のパレルモ」でヴィットリオ
の曾孫が生きたファシズムの嵐に翻弄される時代を描いているので、もしかし
たらヴィットリオ・Fを見つけることができるかもしれませんよ。
いや、「ある家族の会話」に登場する人物たち、とりわけ男たちはヴィットリオ・
Fのような柔なボンボンではないんですけどね。
ファシストと闘いつづけ、あげく獄死するというギンズブルグのユダヤ人の夫
などがさらりと描かれていたりするんです。

人生の選択は人それぞれ。ギンズブルグのこの二作品、それに「落陽のパレ
ルモ」の登場人物たちがイタリアの悲惨な時代を乗り越えてきて今があるのだ
と思うと、え?いいの?。。やっぱ不満?のあの終幕のヴィットリオの選択だっ
て長い目で見ればと許せちゃうのであります。

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