2006年07月

今さらではありますが

お茶会にて。
お隣のお席の、オサさんよりもかなり年下とおぼしきお二人連れが、
「可愛い~♪」「可愛い~♪」を連発 ラブ

オサさんが会場に入って来られた姿を見て「えぇーーっ!可愛い~ぃ!」
何を話しても「可愛い~ぃ!」
ジャンケンゲームですぐ傍のオサさんを見上げては「可愛い~ぃ!」
会場を後にする後姿にも「可愛い~ぃ!」
私までも知らないその方達と「可愛い~ぃ!」を何度も心の中で輪唱し
てしまいましたわよ ラブ

会場に設えられたスクリーンに映し出されたオサさんとは別人のよう。
雑誌のポートともTVともどこか。。というよりまったく違う人のように感じ
るのですが。
あのホワワァ~~ンさをどう表現してよいのやら。
整った美人というのではないけれど、麗しのオーラに輝いている人で
ありますね。と毎回お茶会ではハート眼でとろけている私。

頬の傷はクリスティーヌが逃げるほどの傷になっていないと言われるけ
ど、あの傷はあれでいい!!と、力をこめて言い切ったオサさん。
並んだ三人でここでも輪唱、可愛い~ぃ! これって反応として間違っ
てないのか汗
確かにあの傷はあれでいい!!私は最初に観た時からあれでいいと
思っている!!
見るに耐えない醜い傷じゃなければならないところ、オサさんに似合っ
てしまって色っぽさが増してしまって魅力さえ感じてしまうなんて、「ファン
トム」としてのストーリーが成り立たなくなるじゃないの。。。なんて決して
思うまい(ちょっと小声。。)
過去の宝塚の作品の成り立たたなさで麻痺した頭には、あれぐらいで
留めてくれた傷で充分です。

ホテルの部屋に戻るとちょうどCSで「マラケシュ。。」東京千秋楽を放送
中。家に録画の確認のTELを入れてから見入ってしまう。
このきっかけでと思うところに思い通りのアレンジのBGM。秀逸な作品。
続いて「エンター・ザ・レビュー」を、小豆と電話で場面ごとにいちいち盛
り上がりながら見ているうちに、親であることも主婦であることも忘れた
日の夜は更けていったのでした月

さがしもの

この間から探し物をしなくてはの気分が頭の片隅にこびり付いている
ものの、なにを探すのかをさっぱり思い出せないでいたのが、今朝目
覚ましのブザーを止めていた時にふいに思いつきましたよ電球

百合子だ!武田だ!

何週か前の週刊文春の書評「丸山眞男~リベラリストの肖像~」に
下記のような記述がありました。

『序章の末尾では、竹内好と武田泰淳異国の地にて、酒を呑みなが
らそこにはいない丸山眞男のことを語っている様子を、武田百合子
が記した文章が引用されている。。。』

これを読んで、竹内好と武田泰淳の傍らに武田百合子がいて、それ
も異国の地。。。これはこの三人でツアーに混じって旧ソ連から北欧
を旅した時の百合子の旅行記「犬が星見た~ロシア旅行」の中の文章
に違いない。
あの百合子が、いったい何を書いていたのか? 
すぐに「犬が星見た。。」からその部分の文章を探すつもりだったのが、
文春の他頁を読んでいるうちにすっかり後回しとなり、ついに探し物が
何なのかを忘れてしまっていたというわけね。

ひさしぶりの百合子、いち時期常に枕元に置いて寝るときも一緒だった
「犬が星見た~ロシア旅行」を手にとって、そういえば確かに丸山眞男
の名前をこの本で見た記憶が。。。ロシアを旅しているときではなく西側
に出てからだったような。。と、いきなりストックホルムでの3人の様子を
辿ってみようと頁を開くと、着いたばかりのホテルを出てお酒を買いに
街中を歩きまわっている疲労を知らない百合子に出くわしました。
相変わらずエネルギッシュな百合子。

ストックホルムの雑誌店で、いそいそ気分ながらも落ち着いて吟味しや
っとのことで買ったポルノ雑誌を、どうやって日本にもって帰ろうかと苦
慮している竹内好と武田泰淳がおかしい。二人のインテリも百合子に
よって形無しにされているな。

ここでの最後の日は一ヶ月に亘ったこの旅行の最終日。
三人が荷物をホテルに預けて出かけたチボリ公園で、池の向こうをゆ
っくりした足取りで歩く紳士の横顔を見た百合子が「丸山さんに似てい
る。。。」と呟いたことからはじまった竹内好と武田泰淳による丸山眞男
語り。
これがようやっと見つけ出した探しものであります。

「丸山はいまごろどうしているかな。。。俺はいまビールを飲んでいい
気持ちだあ」 「俺もいい気持ち」と子供のような笑い声をキャッキャッと
あげながら上機嫌の男二人は「長々と丸山さんの話をしていた」。
長々としていた話の内容について、百合子はふれない。
だから文春の書評は、「竹内好と武田泰淳の二人と丸山眞男の間に
成立する空間と、それを見つめる武田百合子との間にあるほんわずか
な隙間が」と書いたのか?

百合子はプーシキンの銅像を見たときにも「三島由紀夫に似ている」と
言って「いや坂本竜馬だ」と言い張る竹内好と言い合いになっておりま
した。

ファントム(2)

週1見当で用意しているチケットをさらに買い足したので、千秋楽前
は4日連続劇場通いとなるもよう。

夏は苦手だなんて言ってはいられませんわ。
今年の避暑地はオペラ座の地下かあの森っていうことで。
ふぅ~ヘルパーさんとの調整が大変です。

オサエリック。 頬の傷が、刃物でメッタ切りされたのを美容整形で
なんとかデザインしてみたらこんな感じ? エリックが胎児のときに
母親がのんだ怪しげな薬草によって見るに耐えない顔となってしまう
にしては、なんだか違うようでもありますが。
でもいいのだ!あの傷、十字でもなしイカリでもなしひたすら色っぽい
わん。妖気がただよっているよう。
それにさらに際立たせているエリックの美しさ、困ったことに悲劇にな
らん! うっとり眺めてしまうのよ。
逃げたクリスティーヌの気持ちがわかりませ~~ん。


この間ご一緒したazuママとは、辛さや苦しみを抑えてあんなにも優し
すぎちゃうファントムでいいのか? 人の心の中に棲む狂気な部分を
オサさんで観ることができるのを楽しみにしていたのが、あの優しさよ
。。。。いかがなものかと、一時は混乱もしましたが、やっぱりオサエリ
ックはあれでいいのだと思うに至りました。

エリックはウイリアム・ブレイクを「僕の心の代弁者だ。。」と言って、
森へ案内したクリスティーヌにブレイクの詩の一節を読ませます。

   母は僕を 南の荒野に 産んでくれた。。。。

ウイリアム・ブレイクの詩は翻訳によって感じが変わるので、といって
原詩のテキストを読む能力なんてあるはずがなし、いったいこの詩は、
どの詩だったっけ。。?と、書棚から取り出した「無心の歌、有心の歌」
の頁をパラパラと繰っていくうちに「これだな」と目を留めたのが「黒ん
ぼの少年」でした。

角川書店発行のもので、寿岳文章氏の翻訳です。
ブレイク自身の挿絵入り。

寿岳氏の翻訳だと「黒んぼの少年」。 
黒い肌の少年の心が、母親から教えられた清らかさそのままに深い
透明感に満ちていて感銘を受けるのは、黒人ではなくあえて「黒んぼ」
としたからなのか。。
その「黒んぼの少年」の挿絵は、顔の傷を見たクリスティーヌに逃げら
れた後にエリックが歌う、

 朝日を見上げれば 神さまの微笑がみえる

この一節を描いたのか、森の樹木の根元に座った母親の膝の上で、
子供が昇る太陽と同じように天に向かって手を差し延べています。
そんな子供の背中を優しく撫ぜているかのような母親の姿。
安心しきっているであろう子供の後姿。

おそらくエリックの母親は、死ぬ間際まで「無心の歌。。」(「無垢の詩
。。」と題した翻訳のほうが私にはぴったりくるのですけどね)に書かれ
た無垢な魂のきらめきをエリックに繰り返し読んで聴かせたに違いな
い。仏語でのウイリアム・ブレイクか。。。
ブレイクの詩はエリックにとって、母親の魂そのものでもあるのね。

大江健三郎の「新しい人よ眼ざめよ」の父とイーヨーが、やはりブレイ
クの「失われた少年」での父と息子であるように。

そんなブレイクを、心の代弁者と言ってはばからないエリックなのだか
ら、彼が無垢の魂を生きていてなんの不思議もない。
オサエリック、それはそれは切ないほどに健気なほどに。



ウイリアム・ブレイクの名前を新たに意識しだしたのは、大江健三郎
のノーベル賞受賞記念の講演内容を読んだ時だったと思います。
かなり前のNHKの番組でも、大江氏とご子息の光さんがブレイクの
画集をご覧になっている姿がありました。

最近見た「博士の愛した数式」DVDにもブレイクのこのような詩が。

   一粒の砂の中に世界をみる   
   一本の野の花の中に天国をみる  
   つかみなさい 君の手のひらに無限を  
   ひとときの中に永遠を・・・

トマス・ハリスのハンニバル・レクターのシリーズ「レッド・ドラゴン」の噛
み付き魔の背中には、ブレイクの水彩画と同じドラゴンの刺青。
出かけて行った図書館で、その絵「大いなる赤き竜と日をまとう女」を
破り丸めて食べちゃってましたね。
幼時虐待のトラウマを背負ったこの男も孤独だったなぁ。
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